牧師略歴

野川悦子 <牧会学博士>

1989年日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッドの中央聖書神学校を卒業。卒業と同時に横浜の港南開拓を任ぜられる。1993年按手礼を受け、牧師(正教師)となる。

2004年南部バブテスト派(超教派)の米国ルーサーライスセミナリーで牧会学博士号を取得。日本心理学認定心理士。グリーフケアアドバイザー。

2001年より中央聖書神学校教師。実践神学を中心に教えている。2008~2021年 神奈川県立衛生看護専門学校で宗教学(キリスト教)を担当。

牧師から初めての皆様へ

神の願いと私達の夢(ビジョン)

私たちの夢(ビジョン)は、一人でも多くの人が、この教会で生きて働いておられる神様と出会い、人生をあきらめず、問題を乗り越え、豊かな生涯を送る姿を見ることです。かつて私も信仰を持っていないときは、毎日がつまらなく、希望など考えられませんでした。

続きを読む…

でも、キリストを心に信じてから、生きることってこんなに楽しいのか、人を信頼し、支え合うことはこんなに素晴らしいのか、と思える恵まれた日を過ごしています。あなたも、きっともっと輝いてワクワクする人生を得ることができます。

どうぞ一度教会の礼拝に御出席ください。礼拝の賛美は、厳かで静かではありません。明るくて励まされ、辛いことが吹っ飛ぶような元気な賛美から始まります。けれどもだんだんにゆっくりした曲となり、自分の心を見つめ、全能の神様を見上げるものとなっています。また、聖書の話にも耳を傾けてください。聖書を通して、不平や不満ばかりの思いが、感謝や喜び、安心で満ちるようになっていくことでしょう。

これを読んでくださっているあなたとお会い出来る時を楽しみに、あなたの為にお祈りしています!

私達の願い...

私たちの願いは、いつも聖霊で満たされ、祈りによって深く神様を知り、神に喜ばれるまことの礼拝を捧げる教会となることです。[礼拝]

私たちの願いは、一人でも多くの方がイエス・キリストを信じて救われることを願い、この教会(私たち)が用いられていく(伝道していく)ようになることです。[伝道]

続きを読む…

私たちの願いは、教会に来た方々が洗礼を受けて神の家族に加わり、互いに祈り合い、支え合い、励まし合い、学び合い、笑い合い、調和を持って(一つとなって)歩んでいくようになることです。[交わり]

私たちの願いは、この教会の礼拝、祈祷会、キリスト教入門、こどもチャペル、家庭集会、弟子訓練、ディボーション、セルグループなどによって、人々が霊的に成熟していき、主の御声を聞くようになることです。[成熟]

私たちの願いは、この教会によって、全ての信者に神様が与えてくださっている賜物と能力が発見され用いられながら、生き生きとした喜びを持って神と人に仕え、やがてイエス様の姿に似ていくことです。[奉仕]

この5つの願いを一人一人が持ち、大事にしながら、健康な教会を目指していきたいと祈っています。

港南シオンキリスト教会は「キリストがその人の人生に生きて働いている教会」「群集としてではなく弟子としてイエス様についていく教会」「やがて他の教会と共に地域や、日本や、世界に良い影響を与えられる教会」を目指しています。

私が教会に行くようになったキッカケ

Wさん(50代・男性)

私がこの教会に通い出したのは25年以上前になりますがその頃はまだ独身で仕事とレジャーの二本立ての生活を送っていました。今の妻から 半ば強引に連れてこられたのが最初です。過激な営業の仕事をしていたものですから休みは週一で毎日終電間際の帰宅で週一の日曜日の休みは最大の楽しみでした。当初は半年ほど通って自然消滅しようという計画でしたが、やがて聖書の奥義を知る事となりました。

続きを読む

高額なものを売るという仕事でしたがここは聖書の言葉のキモ「人に仕える」という予想外の発想を示されました。聖書の内容は私たちの日々の生活や人間関係の対処法だけではなくビジネス書としても世界的に用いられているようです。ほぼ休みなく日曜は朝から晩まで教会で活動していたのですが流石に体が厳しくなり数年前に独立して近郊の町に事務所を開きました。縁遠い場所でしたので周りから無謀だと言われましたが聖書の黄金律を忘れずに実践しています。

世の中に宗教は星の数ほどあります。こちらはキリスト教会と申しますが キリスト教の一派と言うのではなく 聖書を人生の土台として生きる人々の集まりだと思った方が近いです。

あなたがもう少しステップアップしたい、今抱えている問題を意外な方法で解決したい、等ありましたら是非の教会の門を叩いてください。すいませんが今はインターフォンです。


Oさん(40代・女性)

幼稚園頃だったか、教会の日曜学校に行った記憶がうっすらとあるのですが、以来教会ともキリスト教とも全く関わりのない人生を送ってきました。40歳を過ぎた頃、辛いこと、上手くいかないことが重なって無気力になっていました。何もやりたいことがなく、ただ息をするために生きている、そんな状態に陥りました。徐々に「死にたい」という思いが迫って来ました。

続きを読む

そんな時母が脳梗塞になり体を動かすこと、話すことも大変になりました。母をみていると「人間死ぬのも大変なんだ、ちゃんと生きないと死ねないんだ」と思いました。それで「死ぬまでにしておく100の遣りたかったこと」みたいなことをしてみるか、などと考えていました。そんな折、数年に一度の免許証の書き換えに警察署にいった時のことです。警察署のそばにある掲示板に貼ってあるの1枚のポスターが目に入りました。「ゴスペルを一緒に歌いませんか」。

そう言えば元気な頃はゴスペル歌いたいって思ってたな…全てに無気力だった当時の私ですが、その時だけは何故か行動に移すことができポスターに書かれた連絡先の教会に電話をしました。

歌うのは好きなので、教会でのゴスペルワークショップは楽しくストレス発散になりました。月に2回程度でしたが、定期的に通うようになりました。歌うだけでなく、友達ができたり歌の合間に牧師が話をしてくれるチャペルタイムにも魅力を感じました。聖書の言葉を分かり易く伝えて下さるのですが、ささくれていた私の気持ちがほぐされていくのを感じました。

もっと神様のことを知りたいと思い、日曜日の礼拝に参加するようになりました。イエス様を知ると少しずつ前向きな気分の日が増え「死にたい」とは思わなくなりました。教会に通い始めて一年程で、ゴスペル同期の友達と一緒に洗礼を受けました。最近は礼拝で賛美をリードする奉仕もさせてもらっています。

警察署のポスター、あの時何故ポスターが目に入ったのか、そもそも警察署などめったに行くとこもないのに。そしてすぐ教会に電話した私自身、歌う喜び、友達、牧師との出会い、、、振り返ると全ての点が導きで繋がっていることを知ります。弱りはてていた私を救い出して下さった神様のご計画にただただ感謝です。


Sさん(40代・男性)

私はずっとうまく行かない人生にヤケになって生きていました。そして心身共に疲弊していました。ある日、仕事で通る道筋にあるキリスト教の教会の看板に次のように書かれているのを見ました。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11章28節)私はこの看板の御言葉を文字通り受け取りました。

そして、この御言葉は強く強く心に残りました。ですが、その時は教会の門を叩く気力も勇気もありませんでした。

続きを読む

しばらくしても、この御言葉が頭から離れませんでした。あまり意識していませんでしたが今振り返ると、助けを求めて必死だったのだと思います。「休みたい、休ませて下さい」と。教会へ行ってみようかと思い始めました。

どこの教会へ行こうか、インターネットで調べてみると自宅近くに思いの外、沢山教会があることがわかりました。私は音楽が好きで、随分前ですが、学生時代はドラムを演奏していました。その頃バンド仲間が教会でドラムを担当すると言っていたことを思い出しました。なんとなくですが、私と教会の接点にドラムがあるように感じました。

ユーチューブで礼拝の様子をアップしている港南シオンキリスト教会は賛美が生バンド演奏で魅かれるものがありました。また、全くの偶然なのですが港南シオンキリスト教会の会堂建設工事に仕事で関わっていたのです。引き寄せられるようにここだと感じ、何のつても有りませんが思い切って訪ねてみました。

すると牧師先生はじめ皆さんが温かく受け入れてくれ、毎週礼拝に参加するようになりました。教会にはギターやベース、ドラム、キーボードを演奏できる方が大勢いて、音楽話題で友達もできました。

一緒に賛美演奏の機会が与えられ教会でドラムを叩く経験が出来ました。少しずつイエス様のことを教えてもらい、気が付いたらイエス様を信じる決心をしていました。そして洗礼を受けました。多くの御言葉を学び、自分の罪を知り、イエス様の十字架の贖いによって私の罪が赦されたことを知りました。疲弊していた心身が癒されていくのを感じました。現在は礼拝で賛美奏楽のご奉仕をさせて頂き充実した時を過ごしています。音楽を通じて港南シオンキリスト教会に導いてくださった神様に感謝しています。


Hさん(50代・男性)

50歳を過ぎた頃、職場でストレスが多い状況になり、それまでの人生で経験したことのないスランプが訪れました。何をやっても上手くいかず、周囲との人間関係がおかしくなり精神的に追い詰められる体験をしました。うつ病ではないかと心療内科に行き病気ではないと言われ、カウンセリングを受けたり自己啓発本を読んでみましたが出口は見出せませんでした。

続きを読む

こんな時、クリスチャンの妻が聖書の言葉をいくつか教えてくれました。「私の目にあなたは高価で尊い、私はあなたを愛している」自信を無くし生きる意味や自分の存在価値がわからなくなっていた私は、この言葉に心癒されました。聖書には私を慰めてくれる言葉が沢山あるのだろうと買って読んでみたのですが、難しくてなかなか理解できません。

妻に「難しくて理解できんよ」とぼやくと「教会に行け!」と言います。以前なら「冗談じゃない」と一蹴したはずですが、その時はただただ救いを求めて妻の言葉に従いました。行ってみると、牧師先生はじめ皆さんがとても優しいというか、気遣いができ、受け入れてくれる感じがしました。礼拝に出て、その後お昼ご飯を食べながら数人の方と雑談をしました。初めての方ばかりなのにすごく身近に感じられました。その心地よさに私は毎週日曜日が楽しみになりました。

何回か礼拝に出ていると少しずつイエス様のこと、聖書のこと等がわかって来ました。自分の努力、頑張りではどうしようもないことが人生には沢山あり、それを神様に委ねたらすごく楽になりました。職場の問題は続いていましたが、ストレスは激減しました。神様が護ってくれる、イエス様がいつも傍にいると信じられると肩の力が抜け無理をする必要がなくなりました。数か月後、私はイエス様を信じると決心し1年後には洗礼を受けました。

あれから4年、人生がとても豊かになりました。教会に行くまではいわゆる仕事人間で、収入や業績等だけに心が占められていました。数年後には定年ですが、その後どう生きるのか、以前の私なら途方に暮れたと思います。しかし今は、神様は常に良いご計画を備えて下さっていると信じることができ、定年後の人生を楽しみにしています。